するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」ルカの福音書2:13
”風と木の歌が聞こえる”って、なんだか詩的な題名ですが、詩作の話しではありません。たまに発達障がい当事者で、定型発達者にないような機能を備えた人がいるようなので、これも発達障害者を理解する意味で、知っていていただけるとうれしいです。
共働学舎にいた頃の事です。
わたしたち夫婦は朝4時頃、まだ日が昇りきらない時間帯に、畑にいました。
夏でも信州最北の地の朝は、寒いと感じるほど冷涼な気候です。
突然天から女声合唱、大地から男声合唱、森から弦楽器、風が吹くたびにピアノの音色が大音響で聞こえて来ました。
そのあまりの美しさにわたしは圧倒されて、ただ立ちつくして聞き惚れるばかりでした。風景の美しさよりも音楽の美しさの方が勝っていたのです。
主人は何も聞こえないのか、黙々と作業をしていました。
そのとき、ふと頭に浮かんだ事は・・・。
”羊飼いさんたちは、これを聞いていたのですね!いや・・・イエス様の誕生の夜だから、もっと美しかったんだろうな・・・”という事でした。
実は、子どもの頃に、雨が降る日は傘も差さずに近隣の野原に立つのが大好きでした。その時周囲を囲む森林から歓声がはっきり聞こえていたのです。わたしも木々の歓喜と一体化してうれしさと喜びにひたっていました。
だいぶ大人になって再び街で暮らすようになってからは、街路樹たちの歓声を再び聞く事がありました。かなり乾燥しきった日々が続いていて人間もうんざりしていた時期ですが、街路樹はもっと辛いと感じていたようです。久々の雨と風が吹いていた、梅雨の季節に普段はむっつりと静かに立っているだけの街路樹がその日だけは全身で喜びを表現していました。
わたしは、このような体験から聖書の中の奇跡は本当にあり得ると思っています。
聖書は伝承文学ではなく人類の歴史です。神さまだから奇跡を起こせるのです。
時々facebookでは、それを裏付ける様々なニュースが飛び込んできます。
動物たちと人間との深く強い絆を伝えてくれるものですが、”ダニエル”や”ノア”になさったのと同じ恵みを一部の人間たちになさっている事を見ると、聖書に出てくる奇跡は神さまならできる事だと心から思えます。
きっと旧約の時代には、もっとたくさんの人が、動物の言葉を理解し、木や風の歌を聞いていたはずです。
いつのまにか、神さまが与えてくださっていた能力を忘れていってしまったようですね・・・。
なぜ発達障害者の誕生を主はお許しになったのかわかりません。
さらに一部の当事者(?)に太古の能力を備えられた理由もわかりません。
何か、そこに主が人間に伝えたいメッセージがあるように思えてしまうのです。
参考にしていただければ幸いです。