アドベント礼拝/降誕節第3主日

救いの今

聖書:イザヤ書61:1~4、ルカによる福音書4:16~21

メッセンジャー:高橋英美牧師

主はイザヤ書の預言が今さまさに成就されたと宣言されました。その前に罪やさばきについても預言されていたのに、主が強調されたのは今成就したというその宣言だったのですね。

アーメン!

本日2本目のろうそくに灯火がともりました。

 次週は16日第3アドベント礼拝

「この世の罪をとりのぞく神の子羊」

聖書:ヨハネによる福音書1:19-34

メッセンジャー:高橋英美牧師

日本キリスト教団塩尻アイオナ教会

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無慈悲な家来/降誕前第8主日礼拝にて

わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。エレミヤ33:14-15

聖書:マタイ18:21-35

 

ペテロさんが得意げに7回を7倍するくらいですか?(8回目には殴っても良い?)とイエスさまに許せる回数を質問したカ所からのメッセージでした。7という数字が何を根拠に出てきたものなのか、やっと疑問が解けました。

ユダヤ律法では3回までは許しても良いといったたぐいの一文が明記されていたのですね。ペテロさんはそれより培の数字におまけで1プラスして7回までですか?と尋ねたのです。ペテロfさんの”どんなもんだい!”といった表情が目に浮かびます。

でもやっぱりイエスさまの方が何枚も上だった・・・。

7倍どころか70倍まで許しなさいというものでした。

ユダヤでは7は完全を意味する数字なのです。したがって7の70倍すなわち490回許せとは無限大に許せという意味です。

 

わたしたちの目には相手の方がはるかに罪が大きく見えるかもしれない、だけど神様の前では自分が犯した罪よりもはるかに小さいのです。というのが結論です。

相手の目にあるちりはしっかり見えるのに、自分の目にある梁はまったく見えていない、見ようともしない私がいました。

イエスさまはどれほど理不尽な扱いや罵声を受けても一言も反抗せずに、十字架の死にいたるまで父なる神様に従順かつ深い信頼を寄せました。完全になれとはこういうことなのですね。

理不尽な理由で謝らされたり言われたりしたら、悔しいしやり返したいと思ってしまいます。

でもイエスさまのようにどれだけ理不尽で許し難い差別待遇を受けたとしても、ひたすら主に信頼して祈れるようになったら、生きづらさも完璧に解消ですね!

世の多くの人は歯を食いしばり孤独な戦いを強いられながらも、うまく交わす裏技を自分で習得していきます。

わたしたちクリスチャンは聖霊さまの働きを借りながら、心そのものが変えられていくので歯を食いしばるどころか喜びと希望と感謝を常にいただきながら、天の御国というゴールに向かって進んでいく人生そのものですよね。

いまさらながらに聖書の真実味と共に主と共に歩む惠を思ってしまいました。

主に感謝!

主日礼拝参加してきました~

「平和を求めて、これを追え」

平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。マタイ5:9

聖書:Ⅰペテロ3:11、イザヤ2:4

説教:鳥羽季義宣教師

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聖霊降誕節11主日礼拝参加~

「仕えるということ」

わたしは彼らの悲しみを喜びにかえ、彼らを慰め、憂いの代りに喜びを与える。エレミヤ31:13

聖書:マルコ10:42~45

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本日の礼拝にて

「良い土地に落ちた種」

聖書;マタイの福音書13:1~9、18節~23

招きの言葉;

主よ、あなたに並びうる者はありません。あなたは大いなる者であり、あなたの名もその力のために大いなるものであります。10:6

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そそがれる神の愛~礼拝メモから

主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて 喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え 嘆きと悲しみは逃げ去る。 イザヤ35:10

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罪の赦しの福音~礼拝メモから

イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

         ローマ人への手紙8:11

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キリストの体を建て上げる~礼拝メモから

あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。 詩編25:5

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細部にも目配りされる神

主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 詩篇145:9

情報源: 細部にも目配りされる神

アーメン!

主の細やかな愛情に感謝します。

このわたしにも赦しと愛を注いでくださっている事が何よりうれしい。

同じくすべての人に父なる神の愛は注がれています。

いつのまに動物は人間の友でなくなったのでしょうか。

主の御心を正しく読み取れるようにと、主は聖書を与えてくださったんだと思うんですよ。

だったらわたしたちは神さまからの目線で、聖書を読み、主の願うところを正しく行わなければいけませんよね。

そこに例外もあるんでしょうか。

たぶん神さまは人道主義を説いてはいないと思うんですが、どうでしょうか。

まず最優先されるべきは、神さまの御心?

少なくとも聖書を読む限り、そのように受け取れるんですけど・・・・。

それがよく理解できない人のために祈り、じっくり時間をかけてわかってもらうしかないんじゃないかな・・・。

神さまはいずれおいでになったそのとき、はたしてどれくらいの人が、神さまの審判に耐えられるのでしょうねえ・・・。

どうか、主よ憐れんでください。

わが愛すべきアイオナ教会が、未来永劫地域に仕え、人に仕え、主の御栄光をあらわす地域の拠点として、堅く立たされますように。

トマスの信仰~礼拝メモから

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。 コロサイ人への手紙3:1

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