あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。Ⅰコリント12:27
アーメン!
今朝の学びを主に感謝します。わたしと他者の関係において、1人1人が神様という名の大きなブドウの木から伸びた器官だとは、考えられませんでした。かつての自分のような過ちをおかす友に対して、内心「馬鹿なやつ!」と蔑視しています。
かつてわたしがさんざん言われた一言「主を見上げなさい」を、某牧師に返しました。その時のわたしはさながら天から下界を見下ろす天使のようです。
そう!わたしは神様になりたかったのです!でも実際は神様ほど万能でない事も、よくわかっているから悔しさで心がざわつくなど、わけのわからない高揚状態になっています。
”われこそは王だ!”との思いがむくむくと心に沸き起こってくる時も、一方で冷静にわたしを見つめる自分がいます。ばれないように必死に隠していますが、神様の前では裸の王様です。
どこまで行っても自己チュウな自分しか見えてこない時は、自分でもみじめで情けなくなります。神様がいない世の人人はここまでしかこれないでしょう。みじめな自分との決着方法を知らないから、わけわからないまま世にある、あらゆる哲学や宗教へ走るしかないのかもしれません。
主はほむべきかな。
クリスチャンになってよかったな~と思うのは、主に救われて神様の庇護の下に憩う幸せを実感する時です。仮に始まりが最悪だったとしても、罪を告白し主に赦しを求めた時、主は大手をふるって、こんなみじめなわたしを迎えてくださいます。
今朝は長くわたしの心の底に貯まっていた罪という名のヘドロを、主の前に一切注ぎだしました。長く味わっていなかった底知れぬ平安で心が満たされたのは、いうまでもありません。これこそが主と共に生きるものだけが体験できる、信仰のだいご味ですね。
主に感謝
今朝のお祈り~
上諏訪教会(永瀬克彦牧師)
来週9日から10日まで信徒修養会が静岡で開催されます。わたしも証のご奉仕をさせていただけることになりました。祝福された会になりますように。