彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これ(燃えさかる炭)があなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」 イザヤ書6:7
情報源: 危険物 | デイリーブレッド公式サイト
ハレルヤ!
わたしも何度も言葉で人を傷つけたり、傷つけられたりしました。売り言葉に買い言葉でトラブルもおきました。
今思う事。
わたしは主に助けられなければ何もできないほど無能、無力です。逆に主の憐れみに感謝です。”無能”(わたしが自分に向かっていった言葉)に過反応して”根性で乗り越える”事を、強調してくる人もいます。事あるごとに彼から出てくる言葉は「てめーふざけんじゃねえー!」。
きっと鬼の形相で絶叫しているのでしょう。電話の向こうなので顔は見えませんが、おぞましさに寒気がしてきます。
実は自分もかつて、同じように暴言を吐いていた時期がありました(20代~)。仏教でいうところの”因果応報”かと思いました。もちろん神様はたたる事はありません。でも義の神様は一つ一つの事に、きちんと自分で責任をとる事は、大事にされます。
”赦し=全部なーなーですます”という事ではありません。それはイエス様もおっしゃってます。
あらためてわたしは、こうやっていろんな人を傷つけてきたのだと、思い知らされました。
じゃあどう生きたらいい?
神様を見上げていても傷つく時は傷つくのです。やはり目の前の見えている部分に影響受けやすい弱さを持っているから。お互いに祈りあい、赦しあいがなければ、とても前向きに生きていけません。傷つけた人の赦しともし御心なら、対話ができるチャンスを与えていただけるように祈ります。自分の言葉が整えられ、相手を励ます言葉を語れるように祈ります。
ほめ殺しとは違います。主の慈しみを示す言葉こそ慰めだと思うので、聖書を読んでいないと、きっと浮かんでこないでしょうねえ。イエス様が語られた言葉は、ほとんどが旧約からの引用でした。
どうか主にならうものとなれますように。
~本日のお祈り~