枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。ヨハネ15:4
アーメン!
”イエス様がブドウの木、わたしは枝”、痛切にそう感じるのは、自分が実はとてつもなく無能で、無力で、まったくどこにも見栄えしない、と気持ちが沈んだ時です。
あの時うまくいったのは、わたしではなく神様が働いていたのだと気づかされた時、わたしはほんとに神様にすがって生きないと、何にもできない、生きていけないほど弱いのだと気づかされるのです。
自己肯定感がとてつもなく低かったので、いつもみじめな気持ちで生きていたのが、今までのわたし。
有能でなきゃ生きていく資格すらないと、思っていたから。
だけど人の能力て、これほど頼りないものはないと思いませんか?
年とって体力も気力も失せてきたら、生きていく価値ないか?
そんなことはないですよね。
ベッドに寝た切りで、祈る事しかできない不遇な環境にある人でも、一緒にいるだけで、勇気を与えられて元気になっていく事あります。
そう考えると無能だっていいじゃない!ほんとうの力は神様から来るんだよ!と、声を大にして言える。
多分遠い未来に、神様が果たそうとされている計画があるんです。
そう思うと、退屈で灰色にしか見えなかった日常生活が、なんだかすごい尊いものに、思えてきますよね。
主に感謝!
~本日のお祈り~