あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。 レビ記19:18より
情報源: なります | デイリーブレッド公式サイト
アーメン!
ほんとに孤独だった時は、神様が話し相手、相談相手でした。
今はこんなわたしでも、いいと言ってくれる仲間や、兄弟姉妹がいます。
ほんとに感謝。
聖書の中には生きづらさから抜け出すための、知恵が豊富にあります。
どうしたらいいのか、どこへ向かえばいいのか迷った時は、聖書の中を探せば、大抵の事は教えてくれます。
だから、聖書は面倒くさいからと、読まないで生きづらさや孤独を叫んでいる人は、かなりもったいない事をしていると、ほんとにそう思います。
確かに聖書は難解なので、教えてくれる人が必要。
わたしは、聖書って、こんなにもすばらしいんだよ~っと教えてあげたいから、もっともっと聖書(神様の言葉)を学びたい、ちゃんと説明できるようになりたいから。
その教えている人(牧師)にも、障がい者がいっぱいいるのは聞いています。告知ができない?告知したらどこへおいやられるか、わからない?
そんなブラックな環境にある人が、生きづらさを抱えて生きる人に、ちゃんと希望を伝えられるんでしょうか?
障がい者は牧師になれない?
健常者だけで固まった団体や組織は、結局自分たちの許容範囲でしか対応できてい、そうした現実を、さまざな環境においてみて、強く感じます。健康な人が不健康な人に、ほんとに寄り添えると思いますか?
傷みがちゃんと想像できない人たちに、できる事ってなんでしょうか。
人が組織のためにいるわけではありません。
合理的配慮は、牧師が信徒にすべきですけど、信徒が牧師に合理的配慮はしなくてもいいのですか?
信徒も牧師もなく、まじめに考えるべき問題ですよね?
どうか主よ、正しく導いてください。
もっとあなたの事を教えてください。
~本日のお祈り~