
以前から気になっていた本です。文語体なので、読み切れるか不安もあったのですが、予定より倍かかって読み上げました。現在は新規に2巻目を借りて読み始めています。
正直いってやはり難解です。でも内村鑑三が言っていた事が少しだけ、見えてきた感じがしました。内村鑑三は明治の人なんですね~。西郷隆盛の名前が2巻目ででてきました。
神様への信仰は洗礼や聖餐式うんぬんではなく、心でちゃんと受け止めているかどうかが重要。確かにその通りです。気分の高揚で受けるものではないし、主の弟子になるという事は、そんな生易しいものではないです。
だからといって洗礼も聖餐式も、全部とっぱらうのは、ちょっとやりすぎ感もないではないけど、因習深い地方で洗礼を受ける事のむずかしさを考えると、一理あるかな?
実際欧米式の聖書感はちと極端というか、日本人の感覚からずれている印象を受ける事もしばしばあります。外国からの補助金を一切断って、自力で聖書研究会をたちあげて信念を貫いた内村鑑三の姿勢は、やはりかっこいいと思ってしまいます。
”仏教や他の宗教を排斥して、われこそ正義なり!”というのは、やっぱり違うと思うし。
内村鑑三さんは神学校を卒業していないんですね。だから牧師ではない、けれど聖書研究会と称して教壇にたったんですよね。これってもう立派な牧会のような気がするのですが・・・。
でも難しい神学を勉強するのがすべてではないとは、思いました。イエス様の救いを伝えるのに、専門用語はいらない、誰にでもわかる言葉で話さなければほんとじゃないと思います。
ちょっと勇気がわいてきました。