キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 コロサイ3:15
アーメン!
ごめんなさい。今のわたしはねたみとそねみと悪意の塊です。自分よりもできる部分が多い人間を、専門を超えて妬ましい。成功を祝う気持ちになれない。
”なぜあいつらだけうまくいくんだ?””なぜ自分だけ違うんだ?”といった、うらやましさだけ。プラス親に言いたかった事を特定の人間にぶつけながら、それでも受け入れてくれるかどうかを探っているのです。
御霊の実と言える寛容さや慈愛、寛容、謙遜はありません。わたしこそ誉を得られるべき人間だ、もっと力を世間は認めるべきだ、”白い巨塔”そのもの。
たぶん”このような人間でない事を感謝します”と祈ったパリサイ人と同じ事を言ってます。そんな自分の闇を認めたくないから、大言壮語というよろいを着ていました。
ほんとうにわたしが訴えたかったのは、同胞の代弁ではなく、”わたしをあがめなさい”という事でした。
ねたみはこうやってほんとの自分を覆い隠して、悪意とほろびに向かわせる原動力になるようです。
どうしたらここから抜け出して、神様が求めておられる平和な人間関係に近づけるのか、思いつくのは祈りしかありません。
日々自分と向き合いながら、自分の闇の部分に隠れた自分の本音に気づかされる事。苦手と思える相手の幸せを祈る事。きっと自分自身が来るべき時に、責められることがない純真な者に変えられ、神のご栄光をあらわす器に変えられていくんだろうな。
あらためて自分自身のために、このお祈りをささげます。
わたしはこう祈る。〇〇の愛が、深い知識において、するどい感覚において、いよいよ増し加わり、それによって、〇〇が、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、イエス・キリストによる義の実に満たされて、神の栄光とほまれとをあらわすに至るように。 (ぴりぴ人への手紙1:9~)
主の名において。アーメン
(分かち合いのページ:聖徒の祈りー勝手に命名)
本日のお祈り~
明日の聖日に備えて