人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。ルカ19:10
情報源: 最も偉大な救いの使命
アーメン!
神様の救いにあずかってからの人生は、様々な愛する人々との出会いの連続でした。
どんどんよけなものが、はがされていきました。
”自分はこれでいいのだ”と、少しずつ自分も愛せるようになりました。
御言葉は、いやでも自分と向き合わせました。
わたしはいかに罪深くて、みじめな人間かをおも知らされることがしばしばです。
みじめな気持ちになった時に、主の御言葉がわたしを支えてくれました。
わたしは一人じゃない事、最高のタイミングで最高の合いの手を入れてくださるのが、神様である事を知りました。
自分でしでかした事は、当然ながら自分で責任をとるのです。逃げないで真正面からむきあわなければいけません。そんな時でも神様は、一緒に歩んでくださるんです。
だから主のふところはまるで羽根布団に包まれいるような、安心感と暖かさがあります。
実際は、神様の暖かさをまったくしらず、修羅場を歯を食いしばって生きている人が圧倒的に多い、力尽きたらそこでゲームオーバー=死。
こんな人生を送っている人が多すぎます。
人の弱みに付け込んで利益をむさぼる”極悪人”が、身近なところに多すぎます。かつて自分が幼子として、この世界に命を与えられた事を、完全に忘れてしまった人たちです。
考えてみたら最も哀れな人たちかもしれません。
神様の愛は、極悪人にも手向けられている事を思うと、そのなんと底知れない深い愛であることか、驚かされます。
わたしの使命は、一人でも多くの嘆き悲しむ人たちに、神様の愛を伝えるk事です。
伝え方は様々あります。
黙ってそばにいる事も、その方法の1つだし、じっと話に耳を傾けることも1つです。
牧師のように力強くメッセージを語ることも、その1つ。
わたしはどのような方法で、神様の愛のメッセージを伝えましょうか。
「父よ、あなたの目で世界を見て、あなたの救いの働きに加われますように。あわれみの心をあなたからいただき、イエスのメッセージを届ける、神の恵みの器となれますように。」
主に感謝