そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。創世記3:8
情報源: 閉じた目
アーメン!
まさにこの通りで、クリスチャンになろうと、そうでなかろうと自分でしでかした事はなかった事にはしてくれないんです。
死刑囚が仮にクリスチャンになったとしても、無罪放免にならないし、昨日までの嫌われ者が、クリスチャンになったその日に人気者に変貌するわけではありません。
必ず自分でやった事の後始末はしなきゃいけないんです。
アダムとマリアがしでかした事は、人類を罪に落とし込むという形で、後始末をする事となりました。
でも、神様はけしてお見捨てにならなかった・・・。
「どこにいるのか」と呼びかけて、自ら名乗り出てごめんなさいを言うチャンスをくださった、救いを完成させて罪人に寄り添ってくださった。
”後始末人生”を一緒に歩んでくださる神様なんです。
だからクリスチャンはやめられないんだな~。
主に感謝