無慈悲な家来/降誕前第8主日礼拝にて

わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。エレミヤ33:14-15

聖書:マタイ18:21-35

 

ペテロさんが得意げに7回を7倍するくらいですか?(8回目には殴っても良い?)とイエスさまに許せる回数を質問したカ所からのメッセージでした。7という数字が何を根拠に出てきたものなのか、やっと疑問が解けました。

ユダヤ律法では3回までは許しても良いといったたぐいの一文が明記されていたのですね。ペテロさんはそれより培の数字におまけで1プラスして7回までですか?と尋ねたのです。ペテロfさんの”どんなもんだい!”といった表情が目に浮かびます。

でもやっぱりイエスさまの方が何枚も上だった・・・。

7倍どころか70倍まで許しなさいというものでした。

ユダヤでは7は完全を意味する数字なのです。したがって7の70倍すなわち490回許せとは無限大に許せという意味です。

 

わたしたちの目には相手の方がはるかに罪が大きく見えるかもしれない、だけど神様の前では自分が犯した罪よりもはるかに小さいのです。というのが結論です。

相手の目にあるちりはしっかり見えるのに、自分の目にある梁はまったく見えていない、見ようともしない私がいました。

イエスさまはどれほど理不尽な扱いや罵声を受けても一言も反抗せずに、十字架の死にいたるまで父なる神様に従順かつ深い信頼を寄せました。完全になれとはこういうことなのですね。

理不尽な理由で謝らされたり言われたりしたら、悔しいしやり返したいと思ってしまいます。

でもイエスさまのようにどれだけ理不尽で許し難い差別待遇を受けたとしても、ひたすら主に信頼して祈れるようになったら、生きづらさも完璧に解消ですね!

世の多くの人は歯を食いしばり孤独な戦いを強いられながらも、うまく交わす裏技を自分で習得していきます。

わたしたちクリスチャンは聖霊さまの働きを借りながら、心そのものが変えられていくので歯を食いしばるどころか喜びと希望と感謝を常にいただきながら、天の御国というゴールに向かって進んでいく人生そのものですよね。

いまさらながらに聖書の真実味と共に主と共に歩む惠を思ってしまいました。

主に感謝!

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