私たちの重荷を負われた-デイリーブレッド

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。Ⅰペテロ2:24

私たちの重荷を負われた

アーメン!

自業自得、そういわれても文句は言えない。

なんで自分はこうなんだろう。

みじめで情けなくて、孤独でさみしい。

無視され、いなかったことにされる。

仲間内でもそうなのだから、ましてやわたしという人間を知らない人は、”なんだあいつ・・・深入りしないでおこう・・・”となる。

 

だから最後はたぶん孤独死。

それもいつまでたっても気づいてもらえず、ごみまみれで発見されて・・・・と死んだ後の自分の姿を想像してみたりして・・・。

・・・・・・

たぶん普通はこうなるんです。

教会も一緒です。

ああ発達障害の牧師さん、さぞご苦労なさっているだろうに・・・・。

でもね、神様は違うんですよね。

すべての人に寄り添ってくだざるんですよね。

”さあ行こか、ちゃんと前向いて!背筋を伸ばして!刈り取りに行くよ!”

そういって傍らについて一緒に柔らの道を歩んでくださる。

こんなの甘い!と思いますか?

”もっと苦しめ!”

”野垂れ死にしろ!”

と、思いますか?

 

いいえ神様が”自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。”から、そうならないんです。

たぶん不特定多数の人間はざまーみろ!という人生かもしれない。

だけどどれだけ神様を熱い思いで求めていたか、神様はちゃんと知っているんです。

だからきっと肉体の死を迎えた後にいきつく先はパラダイスですよ、たぶん。

主に感謝

 

 

 

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