嘆きの中にも希望がある

主よ。私は深い穴から御名を呼びました。 哀歌3:55

情報源: 嘆きの中にも希望がある

アーメン!

主の前につぶやいてもいいのですね。

嘆いてもいいのですね。

“神様につぶやくなど無礼千万!”神様にも人の前にも自分らしく生きる事”と”正直に生きる事”は、傲慢な人間の罪だ!と、おしかりを受けた事もあったので、これってそんなにいけない事なのかと疑問に思ってました。

「アバ父よと、神様に願うところはなんでももうしあげて良いのだ」とイエス様が、おっしゃっているのだから、心の嘆きや苦しみを遠慮無く神様にもうしあげて良いのですよね。

 

教会の中にちょっと困ったなあというおばあちゃんがいるのです。”こだわりが強い上に、思った事をずばずば言いまくり、マイルールをせめて自分の中だけで収めてくれていれば問題ないのに、周囲にも従う事を求めて独走します。

 

しかしいろんな問題を抱えた人が集まってくる場所ですから、当然”マイルール”に適用できない人もいます。時には命に関わる事もあるという事が、このおばあちゃんにはまったく見えていない様子。(人の傷みをうまく読み切れていないのかも?)

 

で、本人に言わないですべてわたしにぶつけてきます。いいかげんうんざりしていると、それをどうも察知したらしくわたしを追いかけるようにして、罵声を浴びせてくるのです。

 

さすがにわたしの方がノイローゼ気味になり、日中何も手に付かない状態に陥りました。

明らかに発達障害(今で言うところの自閉症スペクトラムっぽい?)の傾向を感じるおばあちゃんです。同じくおばあちゃんの暴走に耐えきれなくなった人も出てきているので、次回の信徒の会では話題に上る模様。

 

なぜわたしがターゲットになったのか?想像するのにねたみ?が絡んでいるのでは?と思えるのですが、次回の話し合いの際に、こちらの気持ちもはっきり伝えて特性認識を促す機会を持てたらと、願っています。

 

キリスト教会はいろんな人がいろんな傷みを抱えて集まってきます。家族になっていくためにはたくさんの時間と祈りが必要です。臆する事なく何でも話し合える信頼関係も重要です。

毎日が人間教育、霊的な訓練の場です。感謝な事なのですが傷いわ~。

主よ哀れみたまえ。

 

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